2012年12月31日 星期一

新的一年與大家共勉之!Happy New Year!


“人之有志,如樹之有根,立定此志,須念念謙虛,塵塵方便,自然感動天地,而造福由我。”
-了凡四訓

Human intentions are like the roots of trees.
Those who intend to accomplish something must plant the intention securely.
They must be modest and humble with every thought of it.
Every speck of dust around it must be treated with the convenience of others in mind.
In this way the sky and earth are moved to let good fortune be produced from myself.

2012年12月24日 星期一

a note

The Chinese language teaching videos on this website will temporarily cease production, due to the upcoming move and construction of a new website. When new videos appear, this site will give notification of how to see them online. Thanks to all those who have used them.

2012年12月21日 星期五

雜言幾句


朋友在她的臉書有個訊息,說今天12/21/2012是芥末日;真有意思。世界要末日了...喧囂了一陣;就像吃了芥末嗆了一嗆,之後就沒事了...其實本來就沒事的;庸人自擾之罷了!

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最近不自覺的想到,有一件事倒是有點值得玩味:為什麼一些最偉大的先賢,聖哲,覺者,神人都是誕生在距今兩千多年前;在那之前與之後就都沒有那麼精彩了?我在此列出一些年份大家瞧瞧。

佛祖              2635

老子(?)     2583

孔子              2563

蘇格拉底        2481

柏拉圖           2439

亞里士多德     2396

莊子              2381

耶穌              2012




2012年12月16日 星期日

回看來時路 前眺未知處 (十六)

台灣花蓮市的明禮國小,是我小學階段讀過的四所學校的第一所。這是一所在民國前十四年就已經成立的老小學。雖然我只就讀了大概一學期,對其樣貌已記憶模糊但卻有兩樣事是記憶猶新的 -學校操場上幾株又大又老的榕樹以及在那些樹下的一種特殊活動。

那幾棵樹和學校的年齡差不多,都是已超過一百一十多年的歷史了。在那些樹下留下了一代又一代孩子純真的嬉笑聲與各種各樣戶外活動的記憶。對我來說,我在那幾棵樹下的一份記憶卻是蠻特別的-防空演習。

因為家就在明禮國小附近,在短暫讀了一所幼兒園後,便入學該小學。開學時,除了規定的學用品外,父母還得為我買一個綠色的小布包;這包約一半的A4紙大,像個小書包似的,也可像書包一樣背在一邊肩膀上,包還有蓋子,蓋子上還有按釦。

包裡邊有什麼呢?包裡邊裝的是折疊整齊,約一米平方的一塊綠色棉布。這塊布是幹什麼用呢?- 防空演習用。

一九四九年雖然國民黨軍隊撤退台灣,但兩岸仍嚴重敵對,不時的發生衝突,如:一九五四,五五,五八年的砲戰,五五,五六,五八年的空戰;尤其慘烈的是在五五年的一江山陸海空全軍種的戰役...等;再加上老蔣總統強力灌輸人民“反攻大陸”的口號無處不在,全台灣充斥著準備戰爭,迎接戰爭的氣氛。我在五五年一入小學就要參加防空演習的訓練,就不足為奇了。

演習訓練大概是這樣的:當空襲警報發出時,全校任何人不管在做什麼要全部停止,然後背著小綠包列隊跟著老師或指導員快速跑到操場邊的大榕樹下,列隊站好,蹲下,迅速拿出小綠包裡的那塊綠布,打開,然後包蓋在自己的頭身上,雙手抱膝低頭捲曲,保持安靜,直至警報解除,才能出聲。

想像一下,從飛機上看下來,幾百個連在一起的,一動也不動的小綠坨坨,有的在樹蔭下有的沒有任何的遮蔽,一定以為是地上的某種灌木叢!
如果當時真有空襲的情況,是否能騙得過轟炸機的投彈手?真的不得而知!

慶幸的是,兩岸終究是沒有發生大規模殺傷的戰爭,反而逐年愈趨理性的走向諒解,交流,互惠...的良性互動上;讓人民可以安居樂業,政經都向上提升。

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私は小学生の時に四つの学校で学んだ。台湾花蓮市の明礼国小は最初に
入った学校である。1897年(民国前14年)にすでに創立していた古い学校であった。
私はわずか一学期ほどしか通っておらず、その外観の記憶はすでに定かではない。
にもかかわらず、運動場にあった大きくて古い数本のガジュマルの木と、
その木の下での特別な出来事は記憶になお新しい。

それらの木と学校の年数は同じくらいで、ともに110年を超える歴史があった。
その木の下には、毎年毎年、子供たちの純真でにぎやかな笑い声と様々な
屋外活動の記憶が残っていた。私について言えば、
その木の下での記憶は非常に特別なものであった。それは防空演習である。

我家は明礼国小の近くだったので、少しの間、幼稚園に通い、すぐに
その小学校に入学した。学校が始まる時、両親は規定の学用品のほかに、
私のために緑色の小さなカバンを買わなければならなかった。
それは4Aサイズの半分くらいの大きさで、小さい学生鞄といった
感じのものであった。また、学生鞄のように片方の肩にかけること
もでき、上蓋には留め金も付いていた。

カバンの中には何が入っていたのか?中に入っていたのはきちんと折り畳んだ
1m四方の緑の綿布である。この布は何に使ったのか?
それは防空演習用であった。

1949年、国民党の軍隊は台湾に撤退したが、台湾と中国は依然として激しく
敵対していた。たびたび衝突が起こっていた。
たとえば、1954、55、58年の砲撃戦、55、56、58年の空中戦、
とりわけ痛ましいのは55年の一江山の陸海空全軍戦…等。さらに蒋介石総統が
国民に強力に植え付けた「大陸を反撃せよ」のスローガンはそこかしこにあ
った。台湾全土に戦争の準備をし、迎え撃つ雰囲気がはびっこっていた。
私が55年に小学校に入学してすぐに防空演習の訓練に参加したのは、
不思議なことではなかった。

演習訓練はおおむね次のようなものであった。空襲警報が発令された時、
全校の如何なる人も、何をしていようとすべてやめなければならない。
その後小さな緑のカバンをしょって、列を作って先生や指導員について、
運動場のガジュマルの木まで早足に走った。
きちんと並んでしゃがみ、手早くカバンの中の緑の布を取り出し広げた。
れを頭から被り両手で膝をかかえ、頭を下げて身体を丸めた。
警報解除になるまで、静かにしなければならず、声も出せなかった。

想像してみてください。数百人が数珠つなぎになって、ピクリとも動かない
小さな緑の塊が木の下にあり、また遮るもののない場所にもある。
上空の飛行機から見たら、きっと低木の茂みだと思うだろう。

もし、当時本当に空襲が行われる状況にあったら、爆撃機の爆弾を投下する
兵士を欺き得たかどうか、全く知る由もない。

幸いにも、台湾と中国は結局のところ大規模な殺傷にいたるような戦いは
起きなかった。かえって、年々、共に理解し、交流し、互恵の良好な理性的な
方向に向かっていった。国民は安心して落ち着いて生活でき、
政治経済が共に上向きになっていった。

日訳 後藤香代子