2011年10月21日 星期五

回看來時路 前眺未知處 (六)




這團人幾經波折到達樂昌,是時粵漢鐵路大事已不正常,只好坐普通車先到曲江,在曲江等了一天一晚後,擠上了由韶州到廣州的最後一班快車。到了廣州的第三天父親接到二九一師的公文,仍發表為師政工處同中校秘書。有了正式公文,又有了職務,剩下的就是等待赴台灣的船期。雖然船期遙遙無定期,但還是謹慎的期待。這其中也試著買飛機票與考慮是否自香港坐私營的輪船去台灣。但不是希望太渺茫就是沒有實現的可能。

這團人回鄉時是四個大人兩個嬰兒,離鄉時卻變成八個大人兩個嬰兒。父親帶出他的四弟,袁家多兩位男性親戚,鄉親何先生帶出了一位他的姪兒,共八個大人一起加入去台灣的隊伍中。

1949年10月11日,廣州北面隱約可以聽到斷斷續續的砲聲。這團人當天下午接到通知到 廣州南火車站待命,以便搭火車至黃埔港登船。當時市面已混亂不堪,車站既擁擠,旅舍也不接受客人,他們無處歇腳,最後胡亂找到幾間『人去樓空』無主的房子,進入暫住。吃的東西也無處可買了。幸好在一家老雜貨店買到一點麵粉,就著自帶的煤油爐,煮了些麵疙瘩,大家果果腹。次日清晨有人來通知,說:可能沒有火車了,希望自力到黃埔港登船,要快!過了中午就來不及了!

接到這樣的通知,大家都慌做一團。父親較鎮定的要大家盡量不帶不需的東西,並告訴他們到黃埔港的路線 ; 先經過黃花崗,再往東南走,過石牌的南面,約二十餘公里,中午前應該可以趕到的。

父親在他的回憶錄中記述著這段情景說:『可是,出了廣州南站,走上赴黃埔的馬路時,真是車如潮水,人若沙丁魚,哪裡能走得動?有人主張先回廣州,再回汝城,不願去冒沒有把握的險了!我也覺得前途茫茫,但想回頭走,因為後面來的人車仍如潮水般地湧來,想退也退不掉,只好順著人潮往前挪。約走了三小時,過了石牌,大家實在走不動了,便在路旁的空地上坐下休息休息。同伴們的埋怨聲、往前衝的汽車聲、在兩旁移動的嘆息、吵架、謾罵、哀求聲,真能致人腦子爆炸。

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一行は幾多の困難を乗り越えて、楽昌に至った。その当時、粤漢鉄道の情
勢はすでにまともな状態ではなかった。仕方なく、まず普通列車に乗って、
曲江に行き、曲江で丸一日待って、韶州から広州行きの最後の急行列車に乗
り込んだ。広州に到着して3日目、父は291師団から、以前と同じ政工処中校
秘書に任ずるとの公文書を受け取った。正式な公文書であり、職務もあり、
残るは台湾行きの船の出港日を待つだけであった。出港日は何時になるかわ
からないが、それは息をひそめて待つような期待であった。その中でも、航
空券の購入を試してみたり、香港から民間の汽船で台湾に行こうかなど考え
ていた。しかし、それはかすかな希望というのではなく、実現の可能性がな
いというものだった。

一行が郷里に帰った時は4人の大人と2人の乳飲み子であったが、出発の
時は8人の大人と2人の乳飲み子に変わった。父は二番目の弟を連れ、袁家
は親せきの男性が2人加わり、同郷の何さんは甥を連れてきた。全部で大人
8人の台湾行きの一団となった。

1949年10月11日、広州の北部は微かに砲弾の音が途切れ途切れに聞こえて
いた。一行はその日の午後、列車で黄埔港に行き、船に乗るために、広州南
駅で命令を待つようにと通知を受けた。当時、市中の混乱は甚だしく、駅は
込み合っていて、旅館も客を受け入れない。彼らは一休みする場所もなく、
最後には主が去って空き家になった部屋を勝手に探し出し、そこで暫く休ん
だ。食べ物を買うところもなかった。幸い、古い雑貨店があり、小麦粉を少
し買ってきて、持っていた石油コンロですいとんを作った。

急がなければ!!お昼を過ぎたらもう間に合わない!!

台湾行きのこの通知を受け取って、みんなは浮足立っていた。父はわりと
落ち着いて、みんなにできるだけ不用の物を持たないようにさせ、黄埔港ま
での約20㎞あまりの道順を説明した。まず、黄花崗を通過したら、南東に向
かい、石牌の南を通ること。お昼前には到着しなければならないと告げた。

 父は彼の回想録の中でこの時のことを以下のように記述している。
  『しかし、広州南駅を出て黄埔までの道を歩いている時、まさに車は潮の如
く、人はイワシのようであった。どこへ向かったらいいのか?一団の中には
広州に戻り、さらに汝城に戻りたい。見込みのない危険を冒してまで冒険した
くないと主張するものもいた。私も先の見通しがつかないと思った。しかし、
振り返って帰ろうと思っても、後ろから来る人や車は依然として潮のように
押し寄せてくる。戻ろうにも戻れない。仕方なく、人の波に押されて前に移
動した。およそ3時間歩いて石牌を過ぎたころ、みんなはどうにも歩けなくな
った。すぐに傍らの空き地に座って少し休んだ。同行者の恨み言、前へ急ぐ車
の音、脇を移動して行く人たちの溜息、喧嘩の声、罵る声、哀願する声など、
もう頭が爆発しそうだった。』

図;魚

日訳 後藤香代子

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