2012年3月8日 星期四

回看來時路 前眺未知處(十一)


父親的回憶錄只寫到「天平輪」進入高雄港,從高雄登上了台灣的土地,而之後的,一直到我有較清楚記憶的這段時期,我們這個家是一個怎麼樣的情形就再也沒有人知道了。因為我是孩子中的老大,而父母已經過世。雖然如此因為我記事頗早,腦中依稀記得的一些畫面與父母後來常常談到的初到台灣時的一些特殊事情,讓我還是可以稍稍梳理出一些那段時期的狀況,最起碼我確定頭幾年都住在台灣東部的台東,宜蘭和花蓮。

我人生最早的一個記憶畫面是一條大蜈蚣。

父親被調到宜蘭時,我們住的房子是一棟非常老舊而簡陋的鄉下房子,屋內的地好像還是泥土地,不過感覺上是比較硬的泥土地。我那時頂多兩歲左右,每晚睡在一個竹製帶木輪子的小嬰兒床上。有一晚,深夜,突然燈光大亮,父母從床上跳起,母親大喊:那有隻大蜈蚣在達子(我乳名)的床柱子上...,霎時,父親抓起在房角的一把圓鍬,以迅雷不及掩耳之速,把蜈蚣從床柱上刮下來,三兩下就把蜈蚣斬成數段。

我被驚醒坐在床上,看到地上的大蜈蚣;可能說大蜈蚣尚不太正確,加上一個“巨”才正確。那條蜈蚣巨大無比,長可能有20公分,或更長,寬也有3~4公分,顏色深棕近黑色而發亮,頗為駭人。被父親斬成數段的蜈蚣,每段黑呼呼的足仍見掙扎爬動。父親在屋內三個角落分別挖了三個坑,把數段的蜈蚣分三份分開埋了。之後,記得他們說了甚麼,不記得是他們互相說還是對著我說。說:蜈蚣要分開埋,要是埋在同一個坑裡,搞不好它自己又接上了...為什麼這麼說?是有甚麼典故?我不得而知,但至今想來仍覺得有點可怕!

母親後來和親朋常常談論這個事件;原來那晚深夜,在寂靜中母親被不尋常的唏唏唰唰聲吵醒,推醒身旁的父親,父親也立即警覺,馬上起身開燈,發覺是一隻巨大的蜈蚣正循著我竹床竹柱子往上爬...
如果不是母親的靈敏,父親的快速動作,再晚個幾秒,可能我就會被蜈蚣咬到,那後果就很難說了。

而我後來偶爾會想,為什麼父親把蜈蚣埋在房內?理由可能是當時是深夜,不便外出,就算能外出也無任何燈光可以處理狀況。此其一。他第二天工作上可能有重要任務,必須趕快回床睡覺。此其二。房內是土質地,挖坑不是難事,所以就把蜈蚣就地正法,就地掩埋了。

這個蜈蚣事件發生的當時是如此的突然與驚駭,也因為如此,整個事件留在我記憶中是這樣的清晰牢固,歷久而不衰。對於父母當時的靈敏快速處置的能力仍深深佩服。

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父の回想録は「天平輪」が高雄港に入ってきた所まで記されている。高雄から台湾の地に上陸してから後、私が比較的はっきりした記憶を持つまでの間、私達家族の様子がどのようであったかは誰も知らない。というのも、私は兄弟の中の一番上なので、兄弟たちも覚えていないし、両親はすでに他界しているので確認ができない。しかしながら、私はかなり小さい時の事も記憶しているので、頭の中にぼんやりと残っているいくつかの場面と、のちに両親が話していた台湾に来た当初の特殊な事柄とで、その頃のことを櫛で髪を梳くように少しずつ思い出すことができる。少なくとも、初めの数年は台湾東部の台東、宜蘭、花蓮に住んでいたことは確かだ。

私の人生で最も古い記憶は一匹のムカデである。

父が宜蘭に転属になった時、私たちが住んでいたのは、とても古い粗末な田舎の家であった。当然、室内の床は土で、わりと硬い土間の感じだった。当時、私は二歳にも満たなかった。毎晩、小さな車輪のついた竹製の乳児用ベッドに寝ていた。ある晩の夜更け、突然、照明が明々とつき、両親はベッドから跳ね起き、母は大声で叫んでいる。「大きなムカデが達子(私の幼名)のベッドの柱にいる!」一瞬のうちに父は部屋の角にあったスコップを掴み、目にも留まらぬ速さでムカデをベッドの柱からこすり落とし、すぐに、いくつかに切り捨てた。

私は驚いてベッドに座り、床の大ムカデを見た。大ムカデというにはなお正確ではない。巨大ムカデと言った方が正しい。そのムカデは並ぶものはないほど巨大だ。おそらく20はあった。あるいはもっと長かったかもしれない。幅も3~4あった。色は黒に近い深いコーヒー色で、驚くほど光っていた。父に刻まれたムカデの黒々とした足一本一本は、まだもがき這っていた。父は部屋の3か所の角に穴を掘って、刻んだムカデを3つに分けて埋めた。その後、両親が話した内容は覚えているのだが、それが彼らどうしの話なのか、私に言ったのかは覚えていない。こう言ったのだ。「ムカデは分けて埋めなければいけない。もし同じ穴に埋めたら、くっ付いてまた元の姿になるかもしれない。」なぜこんなことを言うの?どんないわれがあるの?私は知る由もない。しかし、今思い出してもゾッとする!

母はのちに親せきや友人とよくこの事を話していた。あの晩、夜更けのひっそりと静まりかえった中、母はシーシーシュアシュアという尋常でない音で起こされたのだった。傍らにいる父を揺り起した。父は即座に危機を察知し、すぐに起きて電灯をつけた。そこで見たものは巨大なムカデが、まさに私の竹ベッドの柱に沿って上がっていた...
もし、母が敏感ではなく、父が素早い動きをせず、さらに数秒遅れたなら、私はムカデに咬まれていたかもしれない。そのあとは大変な事になっていただろう。

それから後、私はたまに思うのだが、なぜ父はムカデを家の中に埋めたのだろうか?理由はおそらく、深夜だったので、外に出るのは不便だった。たとえ、外に出たとしても、灯りが何もないなかで片づけることはできなかったのではないか。これが理由の一つ。二つ目は、父は次の日重要な任務があり、急いでベッドに戻り寝なければならなかったのではないか。家の中は土間で、穴を掘るのは難儀なことではなかったので、ムカデをその場で切り刻んでそのまま埋めたのだ。

このムカデ事件が起きたその時は、突然のことで、またとても恐ろしかった。だからこそ、私の記憶にはっきり、しっかり残っていて、長い時がたっても色あせない。両親のあの時の鋭い感覚と素早い処置能力に、今でも深く深く敬服する。

日訳 後藤香代子 

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