父親在他的回憶錄中這樣記載著:「...在開航前兩天,李團長請我進船長室,老船長也在,他還客氣地泡了一杯咖啡給我,這是二十幾天來第一次喝如此美味的飲料;所以對船長非常感謝!船長的年齡約在六十上下,滿頭捲曲的白髮,加上滿臉的絡腮鬍子,穿一件退了色的工裝牛仔褲,猛一看,非常像『老人與海』的作者漢明威。」
在等船從湛江市回來的時間,父母和鄉親是住在海口市。父親回憶錄繼續這樣記載著:「海南島的大街小巷,因為時局的突變,到處擾擾攘攘,風聲鶴唳,使人心惶惶不安!物價一日數漲。撤退到此地的軍隊很多;尚有組織的部隊,當然也還維持軍紀,有些脫離了組織的個別官兵,為了生活,就難免有時出出下策了,所以到處有糾紛。
在海口市待到約第十天,李團長派來的人,通知我們:「『天平輪』已自湛江市回海口了。要我們在兩天之內上船,以便開赴台灣」,這真是天大的好消息。我們分頭去買了些東西,全部是吃的,其中有不少可以存放的乾糧;雖說三四天就可到台灣,我們有過一次餓肚子的經驗,就不會老老實實只帶三四天的食物了。
『天平輪』加足煤與水,正待啟錠東航台灣之際,又奉到了命令;暫停駛台,另有任務,真是急煞人也!過了五六天,命令下來了,要天平輪去榆林港運輸一批軍備與人員來海口。」船回到海口之後,又面臨上一次一般的麻煩:燃煤不夠,要請求港口司令部加煤,往返二三天加足煤後,水又不夠了,再申請加水,等兩三天水加來之後,煤又不足了;這樣的循環好幾次,等到真正把煤,水都加足,船開始啟航東渡時,已是民國三十八年十二月初了。
啟航第二天的午夜,我們在睡夢中,忽然被一聲雷轟驚醒,船像被拋到空中一般地震動;我爬起來,往船長室一看,老船長正在聽電話,我和李團長,賈副團長都站在旁邊,船長掛上電話後便說:「有一隻鍋爐爆炸了,船實在太老了!」
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亡父は若いときの逃避行の最中、なんと、縁あって趙小蘭女士(E laine L.Chao アメリカ連邦政府第24代労働長官2001~2009) の大叔父趙以忠さんと出会っていた。趙女士の父親は趙錫成さん、 祖父は趙以仁さん、祖父の弟はほかでもない『天平輪』 船長の趙以忠さんだ。
父は彼の回想録のなかで、このように書いている。「...出航の 2日前、李団長は私を船長室に招いた。中には老船長もいて、 彼は丁重にコーヒーを入れてくれた。20数日ぶりにこんなにおい しい飲み物をいただき、船長にはとても感謝している! 船長の年齢は60歳前後で、頭はカールした白髪で覆われ、 顔は鬢まで続くもじゃもじゃのひげで、 色あせたジーパンをはいていた。ぱっと見た感じは、「老人と海」 の作者ヘミングウェイに似ている。」
船が湛江市から戻ってくるまでの間、 父母と同郷の人は海口市に滞在していた。 父の回想録は続けてこのように記されている。「 時局の突然の変化で、海南島の大通りも路地も、 至る所で騒動が起きていて、人々はちょっとした事にも怯え、 びくびくして落ち着かない様子である。物価は日に数回上昇した。 この地まで撤退してきた軍隊は多かった。 依然組織だった部隊もあり、当然そこは規律を維持していた。 しかし、組織を離脱した一部の兵士たちは、生活のために、 時には悪事を働くこともあり、どこもかしこも、 もめごとばかりだった。
海口市で待つこと十日、 李団長が差し向けた人は私たちに通知した。「『天平輪』 はすでに湛江市から海口に戻ってきた。 台湾へ向けて出港するため、2日間の内に乗船しなさい。」 これは素晴らしいニュースだ。 私たちは手分けして買い物に行った。すべて食べ物である。 その多くは保存できる携帯用食品であった。3,4日で台湾に到着 するとはいえ、私たちは一度空腹を経験したので、正直に3,4日 分だけの食料を持っていくということはなかった。
『天平輪』は石炭と水を満杯にし、 正に碇を上げて台湾への出港を待っているその時、また、 命令を受けた。台湾行は一時停止だ。別の任務ができた。 まったく、やきもきさせられる!5,6日たって命令が下った。『 天平輪』は楡林港に行って、 軍隊の装備と人員を海口まで運ぶというものだ。 船は海口まで戻ったのち、また前と同じ問題に直面した。 石炭不足である。港の司令部に補給を頼んで、2,3日往復して石 炭を補給してもらった。その後、水がまた不足した。 水の補給を頼み、2,3日待って水が来た。またもや、 石炭が足りなくなった。このように何度も繰り返して、 石炭と水が本当に一杯になってから、船は東へと出航した。 時はすでに民国38年12月初めであった。
出航して2日目の真夜中、眠っている時、 突然の雷鳴で驚いて目を覚ました。 船は空中に投げ出されたように大きく揺れた。 私は這い上がって船長室を見た。 老船長はちょうど電話をかけていた。私と李団長、 賈副団長はそばに立っていた。船長は電話を切って言った。「 ボイラーが一つ爆発した。船は全くポンコツだ!」
日訳 後藤香代子
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